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【アラベスク】  第8章 荊の城



第3節 窮鼠、鶴を噛む [9]




 立ち聞きくらい開き直ればよいのだが、きっと瑠駆真が納得しない。
 瑠駆真は美鶴に知られたくないのだ。くまちゃんと呼ばれていた中学時代の自分の事を。
 確かに中学の頃、始めて対峙した瑠駆真は、美鶴から見れば非常に腹ただしい生徒だった。苛めの仲裁に入った美鶴へ向けた、あの卑屈な視線。思い出せばそれなりに不愉快。
 だが、今の美鶴にはどうでもいいことだ。
 どうでもいいこと?
 身が硬直する。
 どうでもいい事?
 でも、もしあの時、美鶴が瑠駆真に不愉快な思いをさせられていなければ、その一部始終を里奈に話すこともなかったはずだ。

「イジめられて嫌ならイヤだって、ハッキリ言えばいいじゃんっ! 言えないからイジめられるんだっつーのっ!」

 テニスボールを床に投げつけながら、瑠駆真の態度に腹を立てる美鶴。その態度が、里奈に行動を躊躇(ためら)わせた。
 あの時、里奈が万引きの事や蔦康煕とのことを話していれば、里奈は澤村に捕まる事もなかった。美鶴がちゃんと聞いてあげていれば、二人の関係は崩れることもなかったのかもしれない。
 もし、あの時。
 些細な偶然。
 もしもあの時―――
 強く頭を振る。
 やめよう。もう終わった事だ。里奈の事など、もう終わったことなのだ。
 こちらとしては、そんな過去などどうでもいい。
 そのどうでもいい過去を巡って、変な揉め事に巻き込まれるのは御免だ。
 だが、瑠駆真にとっては重大な過去。美鶴に知られたくはない過去。
 壁の向こうで、優しさも甘さも隠してしまった、冷たく攻撃的な瑠駆真の声。駅舎で対峙した時の、非常に不機嫌な瑠駆真の態度。
 もっと記憶を遡ってみる。
 今現在、美鶴母子が暮らすマンション。初めて案内された時、瑠駆真は一度爆発した。

「僕の事も、名前で呼んで」

 たったそれだけの事なのに、瑠駆真はまるで悪魔にでも取り憑かれたかのように瞳をギラつかせ、聡と対峙した。無鉄砲なあの聡を、躊躇わせた。
 抱き寄せられた時の、肩に食い込んだ瑠駆真の指。触れるほど間近に迫った、情熱的な唇。
 何が瑠駆真を変貌させるスイッチとなるのか、美鶴にはわからない。
 四月から常に騒がしい美鶴の日常。
 そうだ。もう揉め事はたくさんだ。
 だから思いっきり腕を引っ張った。
 っ!
 緩が、離してくれない。
「何をなさってますのっ!」
 激情。
 何この子? 私がこの子に何かした? 機嫌でも悪いの?
 そう、緩は機嫌が悪かった。
 いや、機嫌が悪いのではなく、苛立っている。焦っている。
 直前に浴びせられた廿楽華恩からの叱責と重圧。
 それが緩を追い詰める。





「わからない?」
 責めるような、いや、明らかに責めている。だが緩には、他に答えようもない。
 グッと押し黙る態度が、廿楽の機嫌をさらに損ねる。
「緩さん、私をバカにしているの?」
 お気取り仕草で首を傾げ、瞳を細めて睨みつける。
「バカにするだなんてっ そんなっ」
「だったら、ちゃんと答えて頂戴」
 まさに女王様。







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